――丸山さんはこれまでも浦沢作品をアニメ化されていますが、『PLUTO』をアニメ化することになった経緯を教えてください。
丸山:『PLUTO』が単行本になるときに、浦沢くんに言われて後書きを書くことになったんですよ(2009年2月発売の第7巻に掲載)。そこで、ページを埋めるための方便として「手塚治虫の漫画がもとで浦沢直樹がやっている以上は、アニメにするんだったら自分がやるしかない」と書いたんです。本気でやろうなんて思ってもいないのに(笑)。もし3巻で終わったら、やりたいと思ったことはあったんですけど、6巻になっても7巻になっても終わらない。これはアニメ化不可能だと思っていたんですが、あるテレビ局からアニメ化の企画が来たんです。それも1週間に1度放送される30分の普通のテレビシリーズではなく、月に1度のスペシャル枠でやろうという話だったんですね。それでやりたい気持ちも強くなったんですが、東日本大震災が起きたことで、テレビ局の予算編成や方針なども変わることになり、その企画は結局なくなったんです。
――そんなに前からアニメ化の動きがあったんですね。
丸山:でも、それからしばらくして、今度は別のアニメ制作会社と一緒にやる企画が持ちこまれてきたんです。ただ、そのときに示された体制でのアニメ化は難しいと感じて、僕はその企画から抜けたんですよ。結局、この時の企画もつぶれててしまったのですが、やらなくてよくなったとホっとしました(笑)。
そんなところに、(手塚)眞くんから「これまでのアニメ化の話はすべてを白紙にするからやってくれないか」と連絡がきたんです。相手が浦沢くんなら、お互い、わりとわがままを言い合えるから「できません」とはっきり言えるんですが、眞くんに頼まれるとね……(笑)。好きに作っていいと言うなら、自分の最後の作品だと思ってやるしかないと決断したわけです。
――それは、丸山さんがまだMAPPAにいらっしゃった頃の話ですね?
丸山:そうです。でも、そこからも紆余曲折あって、結局10年もかかったんですよ。まず、原作そのままのボリュームでアニメ化するのは、今のアニメ業界ではどんな会社でも無理だと思ったんです。だから、脚本を原作の半分の4巻分くらいにまとめられないかと浦沢くんに話したんですが、そうしたら、「やれるもんならやってみなさい」と言われてしまって(笑)。それで最初の2年くらいは、どう構成しようかと考えていたんですが、あるシーンを削ると話が繋がらなくなるし、別のシーンを切ると今度は説明が足りなくなるし……。そのうちに、もう面倒になっちゃって、大変だけど原作のままのボリュームでやるしかないと思ったんです(笑)。
ただ、その覚悟を決める前に、浦沢くんに「この完璧な原作をアニメ化する必要があるんですか?」と聞いたんです。アニメ化しても「原作よりひどい」と言われては、こっちが損するだけ。浦沢さんは「やっぱり原作は素晴らしい」と言われていいかもしれないけど、僕にはまったくメリットがありません、と(笑)。そうしたら浦沢さんは「丸さんがアニメにすると、声や音が入って、画面に“風”が吹いてくる。自分が描いた漫画とは違ったものになるんだよ」と言うんですよ。
その言葉に騙されようと、覚悟してやり始めました。
――真木さんはどのタイミングで『PLUTO』に参加されたんですか?
真木:丸山さんと一緒にスタジオM2を作ったのが2016年1月なんですね。その直前の2015年10月、徳島で開催されたイベント 「マチ★アソビ」で丸山さんと会ったときに、ご自身が務められていたMAPPAの代表取締役を大塚(学)さんに譲って、丸山さんは「プリプロダクションを専門とする会社を作りたい」と言われたんです。そこで、すぐにその話に乗ったんです。
――「プリプロダクション」というと、製作に入る前の準備作業ということですよね? いわゆる企画書だけでなく、脚本や絵コンテを完成させたり、スタッフやキャストも決めたりする作業のことだと思いますが……。
真木:営業する立場としては、常にプリプロをしたいんですよ。どういうテイストの作品なのか、クライアントにも伝えやすいですしね。でも、どこの会社にもプリプロをやる制作ラインはないし、「監督が決まっていないとパイロット映像も作れない」と言われるわけです。だから丸山さんの話を聞いて、飛びついたんです。
丸山:そのとき、もう『PLUTO』のアニメを作るしかないという段階まで話が来ていたから、プリプロ会社でパイロット版を作ろうということになったんですね。スタジオM2はあくまでプリプロ会社だから、M2で本番はやらなくていいし、「このクオリティなら浦沢くんも文句はないだろう」というすごいものを作ってやろうと思ったんです。いつもなら、いろいろ先のことを配慮して作るんだけど、このときは本番のことなんか何も気にしなかった(笑)。
――パイロット版はどなたが演出をされたんですか?
丸山:僕が「こういうのを描いて」と川尻(善昭)にコンテの発注をしたんですよ。そうしたら「丸さん、これじゃ全然つまらないよ」と言って、すごく上手いコンテを描いてきたんですね。こちらとしては「浦沢さんが気に入ればいいや」と、いい絵だけを並べておけばいいと思っていたんですが、彼は絵描きとしてではなく、営業として『PLUTO』という作品を売り出すなら、こういうコンテのほうがいいだろう」というものを描いてきたんです。そのコンテを見て僕もやる気になって、本編の監督も決まっていない中、その場にいるスタッフだけで、時間とお金はたっぷりかけて、理想を追求してできたのがパイロット版でした。M2がプリプロ会社じゃなかったら、そして真木さんがいてくれなかったら、絶対にできませんでしたね。僕が納得できるものになるまで、何回も修正しましたから。
真木:2016年1月にスタジオM2ができて、『PLUTO』のパイロット版の完成が2017年11月でした。それで、本編を作ってくれるスタジオを探して、ある大手アニメ制作会社の方にパイロット版を見せる機会があったんですが、「なんでこんなの作っちゃったの? こんなにクオリティが高いものを作れるスタジオはないよ」と言われてしまって(笑)。それくらい気合いが入っていたんですよ。
丸山:パイロット版でハードルを上げすぎたせいで、みんなビビっちゃって。どこも受けてくれるところがなかったから、仕方なく自分のところでやるしかなくなったんです(笑)。でも、短いシーンだけならともかく、本編を60分×8話分を作るとなると、5~6年は専念しないといけないからね。……だけど、パイロット映像はできているから「こんな風に作ってください」って、1話ずつ8社に発注すれば大丈夫だろうとは思っていました。
真木:でも、M2を作ってからも「本当にやるのか?」と悩まれていた時期もありましたよね。2015年の4月に丸さんが脳梗塞で倒れてから、あまり時間も経っていなかったし、ご自身の体力的なことも心配していた気がします。
丸山:体力的にも気力的にも最後までやり切れるかは心配でした。でも、結果的に大丈夫だったということは、むしろ『PLUTO』があったから、この10年生き延びられたのかもしれないですね(笑)。最後まで見届けなければいけないし、責任を取らなくてはいけないという気持ちがあったから。特に後半の7~8話になると、「今までこんなに仕事を頑張ったことがあるか?」と自分でも思うくらい大変でしたから(笑)。
(取材:2023年8月)