――浦沢さんとのお話を聞かせください。浦沢さんと初めて関わったときのことは覚えてらっしゃいますか?
僕が(さいとう・たかをさんの)『ゴルゴ13』を担当していたときですね。当時『ゴルゴ13』がすごく売れていて、別冊と増刊を出していたんですが、別冊(の内容や構成)は、わりと好きに編集ができたんです。それで、余ったページに誰か新人の漫画家を使おうかなと思ったときに、最後まで候補に残った漫画家がふたりいまして。そのうちのひとりが、(就職活動のための)会社訪問に来て原稿を置いていった浦沢さんだったんです。そこで、彼に電話をして「4枚くらい描ける?」と言ったら、描いてきたものの出来がよくて……。それが出会いでしたね。
その後は(お願いする原稿の枚数が)6枚、8枚と増えていきました。当時は僕もまだ新人だったので、(担当漫画家が書いた)ネーム(※漫画の下書き)を先輩にチェックしてもらおうと持っていってもボツにされていたんです。でも、その別冊だけはノーチェックで進められまして。完成した原稿を読んだ編集長も面白いと言ってくれたので、「もうちょっと長いものを描かせてみろ」という話になったんです。そんな流れの中で「こういうものを描いてほしい」という要望を、全部クリアしてきた人が浦沢さんでした。
こういうことを言うと浦沢さんは怒るかもしれませんが、当時はストーリーの引き出しもまだ少なかったし、ストーリー自体に技術や知識がなかったと思うんです。ですから「まずは勉強しろ」と、いろいろな本を読んでもらったり、「こういう話を描いてみて」と言ったりしたんです。そこからどんどん力をつけていったのは、浦沢さんの努力だと思います。みんなは彼を発想の天才だと言いますが、僕は努力の天才だと思っています。
――『PLUTO』の連載が始まることになった経緯を教えてください。
僕が会社を辞めて、フリーの編集者として浦沢さんを担当していたとき、彼は「ある編集者から『鉄腕アトム』を描かないかと言われたけど断った」と言ったんですよ。でも本音ではやりたそうな感じを受けて。一方で僕は、その少し前に「『火の鳥』のリメイクを浦沢さんでやりたい」と、手塚プロダクションに問い合わせたんですが、ありえないと断わられてしまっていて。だから僕がもう一度、手塚プロに、じゃあ浦沢さんで『アトム』ならありなんですかと言ったら、角が立つと思ったんです。それで、まずは浦沢さんから「やりたい」と言わせなきゃいけないなと思ったわけです。『ビッグコミックオリジナル』の編集長に「浦沢さんはやる気はあると思うので、改めて話してみてください」と頼みました。そうしたら、次に会った時に、浦沢さんが「やるよね」と僕に言ってきたんです(笑)。彼から言質が得らればしめたもんで、手塚プロと交渉に当たったわけです。
――『鉄腕アトム』には他にもたくさんのエピソードがありますが、『地上最大のロボット』にスポットを当てた理由は何だったのでしょうか?
当時、(横山光輝さんの)『伊賀の影丸』という忍者漫画がありまして。主人公と仲間たちがトーナメント形式で、いろんな術を使いながら敵と戦うという内容が当たって、すごく人気だったんですね。一方で手塚治虫さんは、そういう流れに惑わされない独自の路線で作品作りをしていたんです。ただ、手塚さんは「これが当たっているんですか。僕ならもっと上手くできる」とも考える人で(笑)、それを導入したのが『地上最大のロボット』でした。子どもたちがその面白さに気づいて、『鉄腕アトム』という作品の中でも、あの章はカルト的な人気になったんです。僕の世代の人はみんな、『地上最大のロボット』が一番面白いと言うくらい大ヒットしたので、アレをやるしかなかったんです。
――『PLUTO』というタイトルは、どうやって決まったんでしょうか?
『PLUTO』というタイトルは、浦沢さんがつけようと言ったんです。ゲジヒトを主人公にしたのも彼です。それで、「ゲジヒトを主人公にしたときにロボットの連続殺人事件もの、サイコロジカルサスペンスにすれば当たる」と言ったのは僕です。このふたつが合わさったときに、「この漫画は成功する」と思いましたね。最後に話が世界規模になったときにどうしようかと、ちょっと苦労はしたんですが、うまくまとまったという感じですね。
――『PLUTO』連載にあたって、原作である『地上最大のロボット』との違いを出していこうという意識はありましたか?
むしろ、「どれくらい同じかを見てほしい」という考え方でやっていました。「少年に向けて描いていたから当時の手塚先生は描けなかったんだろうな」というところを推測して、もっとエグい描写にしている部分もありますが、「(手塚治虫さんが描きたかったことは)こういうことでしょう?」と思いながら作っているんです。つまり、『PLUTO』という漫画は、手塚治虫の謎解きなんですよ。そして、それはそんなに違っていないと思っています。
――では、アニメの話についても聞かせてください。アニメ化の話は出てきては消えるという状態だったそうですが、長崎さんのところに話が舞い込んできたんですか?
僕のところにも舞い込んできましたが、そういう話は全部手塚プロに判断を任せていました。ただ、今回制作されているものを企画した丸山(正雄)さんは、浦沢さんが最も信頼しているプロデューサーなので、「丸山さんが一番いい」という浦沢さんの意見があったと思います。手塚プロは僕の方にも確認してきてくれて、ひとりが「NO」なら断るというかたちでしたが、僕としては別に断る理由はなかったですね。
――アニメ化に対しての思いや期待することを教えてください。
浦沢さんは、たぶん自分と同じくらい上手い絵を希望するだろうし、僕は「物語の本質を変えてほしくない」という希望があるんですが、丸山さんはそこを忠実にやってくださる方なので、あまり心配はしていないです。だから悪いものはできないし、うまくいけば大傑作になると思います。アニメ化が発表されたときに、みんなから「おめでとうございます」と連絡が来たので、よっぽどおめでたいことなんだと思いました。僕が手がけた他の漫画が映像化されてもこんなふうに言ってこないのにね(笑)。
――プロモーションビデオには海外ファンからの注目も集まっているようですが、連載当時に海外市場を意識されたことはありましたか?
全然なかったですよ(笑)。「日本で大当たりすればいい」という小さな野望しかなかったです。ただ、アニメ化することで興味があるのは、『PLUTO』のような難しいものをわかってくれる人が海外にどれくらいいるのか、ということですね。『PLUTO』は、今当たっているようなアニメとは質が違うものだと思うんです。つまりキャラクター中心じゃなくて、ストーリー中心の作品だと考えていて、そうしたアニメが海外で受け入れられるかどうかということは、ちょっと見てみたいという気持ちがありますね。
(取材:2023年5月)